相対 vs 絶対

相対評価と絶対評価、これまで生きている中でどちらも数多く目にしてきた。この二つの違いは判断基準である。結局はすべて相対評価が絶対だと考えてきた。テストで90点をとる。これはまさに絶対評価の一例である。しかし、この場合でも平均点が98点で、最低点が90点であった場合、褒められやすいのは周囲の人間である。競争社会を生きている以上、他者より優れていることで評価され、このことに嫌気がさすことも少なくない。相対評価は一概に悪いとも言えない。テストで低い点数であっても、周囲も低いことで救われる場合もあるからである。ただ、会社が新たな人材を採用するにあたって応募者を比較し、相対的に評価が高い人を選ぶことや、消費者が商品を選ぶにあたって多くの会社のものの中で優れていると判断したものを選ぶなど、相対評価で判断を下されることもあれば、下すこともある。

この相対的評価絶対主義人間となってしまった私にとって絶対評価が意味を成すと感じたことがある。それは「好き・嫌い」だ。先程までの相対評価は客観的要素が多く、他者の理解も得られやすいものだろう。しかし、好き嫌いは主観的な部分が大きい。人を好きになるとき、「『他の人より』優しい、面白い、かっこいい、かわいいから好き」とならないのではないか。そうおもっているのであれば、ステータス、所有物としてとらえている可能性もあり、本当に好きであるかは疑問が残る。ただ、ここでは深く述べないが、好きにはいろいろな形があって良いとは思う。この疑問ですら、相対評価に毒され、周りとの違いに敏感になるあまり、自分の考えを他人に強いてしまうという相対評価絶対主義の弊害だろう。

絶対評価は意味づけでポジティブに捉えればよいはずだ。

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